「居場所は校庭のお砂場」 スクープを放つ! vol.3 Fumika記事
- info226411
- 1月5日
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居場所は校庭のお砂場
一般社団法人ええじゃん栗林克行さん インタビュア 田上史花

はじめに
栗林さんは一般社団法人ええじゃんの代表さん
ええじゃんは在住外国人や社会的マイノリティと寄り添うという活動を廿日市でしています。
廿日市を日本一の移民の町から、日本一の共生の街へという心意気です。
栗林さんは80代、もう仕事をしてない年だと思われますが、バリバリ現役で夜も寝ずに働いています。
栗林さんは主に外国人のトラブル相談、学習・就労支援、市民交流、ラジオパーソナリティ、という仕事をしてます。こんな幅広い多くの仕事をしていたら寝る暇もありませんよね。
そんな栗林さんとの出会いはフリースクールで子ども町内会とええじゃんさんと合同展示会を開催をしたときです。そこからええじゃん副代表に韓国語を教えてもらったり、イベントに参加してくれたり、ラジオに出演してくれたり、子ども町内会に今まで深くかかわってきてくださいました。
そんな感け橋になってくれた子ども町内会ももうおしまい。節目ということで子ども町内会に深くかかわってくださった方々にインタビューです。
【あなたは子どもの頃どんな子でしたか?】
栗林さんは閉鎖的と言われる京都で生まれ育ちました。
小学生時代、学校には行っていましたが、まったく授業を受けませんでした。学校に行っては校庭のお砂場に出ての繰り返しだったそうです。
お砂場で何をしているかというと、アリの働きをずっと見ていました。先生は授業に引き戻す事も叱る事もあきらめたそうです。寒い冬には気にかけて見に来てくれることもありました。
普段お砂場にいる栗林さんの所に来る人はいなかったそうですが、学校のボス的存在の生徒がある日仲間外れにされ、突然栗林さんがいるお砂場に来ました。栗林さんはその大きなアリも受け入れ、働きアリと遊びアリがいることを教えました。
そして授業は受けてなかったけど、給食には参加していた栗林さん。自分の当番をしっかりこなし、ご飯を食べていました。
他人と合わせることが下手で、漢字ひらがなも知らないまま、ひとりぼっちのお砂場でしたが、毎日多くの生き物が集まるにぎやかな教室で学んだことが自となり、80歳の今の活動の原動力にもなっているそうです。
栗林さんは柔道も習ってたそうです。特別うまいわけではなかったみたいで、ずっと受け身を練習していました。その受け身が命を救ったことが、何度もあるそうです。中学生に上がったころ、家の会社が倒産して栗林さんは働かざるを得なかったみたいです。しかし、お砂場で鍛えられたクリちゃんは強かった。
自転車で京都を回って商売をたくさんしました。高校生になるとバイクへ進化していきました。
乗り物に事故は付き物、商品をバイクの後ろに乗せて走っていると横から車が!!栗林さんはとっさに避け、受け身でかすり傷で済みました。それでも商品はボロボロ、車の運転手と警察の方に暴走族扱いされ叱られて、悔しい思いをしたそうです。
大人になって
そして大人になった栗林さんは京都を出ることを決めました。
原爆資料館で精神的に被爆した栗林さんは広島に一生を捧げることを決めたそうです。
外国人
日本へ働きに来る外国人はとても増えています。
そんな中コロナ禍もあり人と話す機会が減りました。お金のことや国のことなど気軽に聞けるという状況ではありません。日本人が外国人といい関係性ができたらいいなと思います。

感想
70年前の教育は見当もつきませんが、今の学校では絶対にないと思いますし優しく見守ってくれていた先生方にも驚かされました。今は少子高齢化に悩まされていますが時はとても子どもが多かったと思います。そんな中とても自由放だった栗林さんは個性が強く本当に優しい方です。私がインタビューさせていただいた時も「これからは若い人の力が大切だから」と言って色々準備してくださって本当にうれしかったです。私が一言、言うなら本当に休んでほしい。体に気を付けてください。
おわりに
子ども町内会が終わります。とても沢山の方と関わって、いろんな活動をして、中学生にして色んな経験ができました。とても楽しかった事が終わるのは少し寂しいけど、新しいスタートだと思い頑張って行きます。これから私は高校生、大人にとってはたかが高校生、私にとっては憧れの高校生楽しみのほうが大きいけど不安もある、でも大丈夫!まだ高校生!沢山遊んで沢山働くぞ!
栗林さんご協力ありがとうございました。

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