「徳政こういちさん 」 スクープを放つ! vol.3 Harumi記事
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- 1月7日
- 読了時間: 6分


徳政こういちさん
NPO法人日本頸髄損傷Life Net理事長
はつかいちパラスポーツ協会
はつかいちおもいやりプロジェクト
徳政こういち後援会
TikToker 広島弁車いすオヤジ徳さん
出会い
徳政こういちさんとの出会いはお互いの知人を通して2020年ころからFacebookを通じてのものだった。2020年4月から「子どもがつくる次世代型町内会」(以後「子ども町内会」)事業を始めた矢先、世間は「コロナ」に翻弄され、奇しくも事業内容の中の、マイノリティのオンライン交流は時代にあったものとなっていた。わたしたちが「マイノリティ」とよんでいるものの中に障がい者がある。障がいにもいろいろあり、身近では発達障害、自閉症スペクトラム、グレーゾーン、学習障害(LD)、起立性、小児鬱、双極性、軽度知的、などがあるが、身体障がいには一切かかわりがなかったので、経験値としてこの機会に、フリースクールの子どもたちとぜひつながってほしかった。いつものように体験ではなく、重ねる経験の第1歩として。オンラインで気軽に誰ともつながれて、一方で、セキュリティが問題視されるそのころに、わたしは徳政こういちさんに連絡をした。メッセンジャー(コミュニケーションアプリ)の向こうの彼は「いいですよ」と即答だった。そのころすでに彼はSNSやアプリを駆使してラジオやライブ配をしていて、その日のうちにzoomでの打ち合わせや、本番での子どもたちを交えてのミーティングでもなんのテクニカル的な問題はなく、その交流の内容より、頭がいい人だなーというのが印象だった。家族や親せきなどに障がい者がいない限り、健常者と日常が分断されている社会の中で、私たちはどのようにつながれるのだろう、といったような会議だった。以降徳政こういちさんを親愛を込めて徳さんとよんでいく。
なぜ徳さん?
さて、なぜ徳さんを取材対象者に選んだのか。徳さんは36歳で事故にあい、頸髄損傷を患い胸から下が全身麻痺で、電動車いすやヘルパーなしでは生活ができない障がい者でもある。私にはとうてい彼の苦悩は計り知れない。しかし、私たちはつながり、世界は共有されたのだ。お互いの主催イベントへの協力や参加、相談、そんなことを重ねてできた縁に答えなどない。そしてこの事業が無かったら、国からも地方自治体からも資金援助ゼロの小さなフリースクールが地域をベースとした「つながり」を意識してオンラインを駆使することもなかった。
子どもの頃の徳さん
徳さんは、いつものように軽めに、少し低めのいい声で話しはじめた。徳さんには転勤族のお父さんがいて、実は生まれは北九州。廿日市市へきたのは小学校3年生くらいなんだけど、彼の子ども時代の記憶はそこからで、生まれ育った感覚は廿日市からだとはっきりと言ったのが印象的だった。 「吃音だった、広島弁で「どもり」で、あいさつもいえない、お、お、おはよう、といった感じ。同級生たちにいじめられた感覚はあるがその子たちと一緒に遊んでた。(どもりを)気にしてなくてどもりながらでも話しまくって、この子は変わってて、大丈夫か?と僕の母や姉はいってたんよ。」「とにかく遊んでた、家に帰らず、そのころ流行ったローラースケートをはいてどこまでもいって、天満宮あたりまで走り回り、かくれんぼ缶蹴り ビー玉、。海が近いから魚釣りもよくやったな。仕掛けは引っかかってるのを使って、エサは石をひっくりかえして虫をみつけて、全部あるもので遊んだ。」
とりわけ、楽しかった思い出は、よく堤防からおちたり、魚釣りしてて、海へおちて、牡蠣があたって血だらけになったけど、木材港で働いていた木の上にいるおじさん達がめちゃくちゃ怒りながら助けてくれたこと。海岸にはワタリガニがたくさんいて、たこがいて、持って帰って お母さんがゆでてくれて、食べたと嬉しそうに話した。わたしは、海岸や堤防を駆け回ってタコをもって家に帰る徳さんが想像して、徳さんの心と体はそういったものでできているんだと感じた。
音楽
なんと小学生でバンドを同級生と2人で組んだ徳さん 「父が小6で亡くなったからさみしかったのかも」 尾崎が流行った荒れた中学時代、校内暴力がひどかったからあまり学校は行きたくなかったが、高校生とバンド活動をしたり、新たにサックスをはじめ、ロックとクラッシックにはまったと言う。
「ずっと音楽漬けです」
徳さんの心身は音楽でもできている。中高と音楽漬けの日々を過ごし、大学へ。実は音大へ進学したかったが母子家庭の経済的なことを考えて諦めた徳さん。
「僕ね、泣いたんですよ、泣いた。そうやってね、なんとなく大学時代がすぎた、なんとなく。」
わたしも早くから母一人だったので、時代は裕福だったが、取り残されたその感じは少し共感できた。
子どもに関わること
小中学校によばれて、学校の先生やPTAの運営の相談をされることもあるという。
「大人の世界が崩壊しているから、子どもの世界が崩壊しているように見える。大人の世界が破綻しているから、こどもの世界が破綻しているように思われる。」
「例えば、最近ナイフで事件を起こした子どものまわりの大人は何を見ていたのか」
きつい一発がきた。わたしたちはみんなつながっているのだ。
伝えたい
「福祉っていうのはみんなのためにあってね、障がい者や、高齢者のためだけじゃない。 生まれてから死ぬまでが福祉。みんなにわかってほしい」
徳さんは、今年ある市議会銀補欠選挙に出馬する。
「でもね、子どもたちと、関わることはやめたくない。いつまでもぼく、若くいたい、例えば一緒にスマホでゲームができるようなおじいちゃんになりたいんですよ。そういうこともしたい。忙しいの。」
最後に
2020年から3年間「子ども町内会」事業を、試行錯誤しながらも邁進してきたが2023年3月を持って、それも終わろうとしている。分配団体である「NPO法人まちぽっと」の伴走を頼りに小難しい経理報告や事業報告を大人が支えてきた。そうやって、子どもがつくる場所をつくったのは大人たちだ。 安心安全である居場所のHomeで豊かに育てた心身をもってAwayである地域へでかけ、つながった個人や団体、法人すべてが私たちの結果だ。そうやってつながりは広がっていく。子どもは昔から何も変わらない。大人の真似をするだけだ。そうやって私たちは大きくなっていき、大きくなってきた。いろんな大人がいる地域で子どもがその身の丈に合ったたくさんの経験をし、育つとき、地域は真の意味でつながれるのではないか。「どもり」だった徳さんが人前でしゃべりまくったことで、今こうなったように、やり続けることが大事なキーワードだったように感じた。最後は徳さんの言葉でしめるとする。
「わたしたちはいつでもばたける、変われるんですよ」
横山はるみ 木のねっこ運営代表

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